お弁当の思い出話

小中学校の頃の昼食

今は、コンビニでいくらでもお弁当が売っているが、昔はお弁当は作るものであった。戦前、戦後直後とか、そんな話ではなくて、だ。小学校の頃、普段の昼食は給食であるが、何か遠足、運動会などの催し物の際は、自宅からお弁当を持ってこさせられる。母が作るのである。お弁当箱はいつもの、自宅にあるアルミのこぎれいなものを使うのが定番で、そうでなければ、使い捨てのエンジ色の本体と透明なフタの、今もある容器を使うことになる。パッキンでぴっちり閉まるものではなく、汁漏れを起こすのが毎回の悩みであった。弁当を持たされると、水平に維持することは必要で、それでも汁は漏れるので、新聞紙とビニール袋に包み、ゴムバンドで止めるのである。それでも、汁が漏れ出すことは難しく、かばんに汁が付いてしまう、ということが当たり前にあった。

 

 

高校、大学時代のお弁当

小中学校までは、給食であったが、高校になると、お弁当を持ってくることになった。昼になると業者が来てパンを販売したりもするのだが、それを利用するのは少数で、ほとんどが弁当持参であった。最新のブックタイプの、今度は汁が漏れないお弁当箱を買ってもらい、毎日弁当を作ってもらった。昼食になると机を移動させ、輪になって食べていた人もいたが、自分は社交的なタイプでもないので、一人で食べていたような気がする。家族以外の人たちと物を食べるのは、今もそうだが、落ち着かないので、高校の時は、早々に弁当を食べてしまうようにしていた。早く食べるので、毎回、のどに詰まっていた。お茶を飲めばいいのだが、学校で大きなアルミのやかんにお茶が準備されていたような気がするけれども、飲まなかったような記憶がある。さっさと昼食を終わらせたかったのだ。高校時代はあまりよい思い出がない。

 

大学時代は自作のお弁当とは縁がなかった。大抵、学食か、お金がかかるので、わざわざ下宿に戻ってインスタントラーメンを作っていたことも多かったと思う。

 

 

会社時代の昼食

事業所によって、昼食は食堂であったり、弁当業者から弁当をとる、のいずれかであった。独身時代は、会社提供のそのようなサービスを利用していたが、結婚後はお弁当持参、さらには、食べる量を減らすためにおにぎりだけ、という状態が続いた。長く会社にいると楽しく昼食を、という感じではなく、会社のやつらと一緒にメシなんか食べたくない、というのが本音だ。会社では、何千個のおにぎりを食べたかわからないくらいだ。それだけおにぎりを作っていると工夫がされるようになり、中に入れる具材や、混ぜるふりかけ、巻く海苔にいろんなものを利用した。海苔はやっぱりあった方が美味しいので、こだわった時期もあり、美味しい海苔を探したりしたものだ。今はさらに状況が変わって、さらに摂取カロリーを減らそうとして、昼食も控える方向である。なんともさびしい限りである。